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親父の事

  • Posted by: 南野 せな
  • 2005年2月19日 04:01
  • 過去

昔の事を思い出してちょっとパニックに陥った。一般的に「フラッシュバック」と言われるもの。2、3ヶ月くらいに一度、不定期的にちょっとした事がきっかけで起こしている。私がフラッシュバックを起こす時は、大抵、親父か昔の男の事を思い出した時だ。

今日のフラッシュバックの起こし具合としては中段階くらい。そして、思い出したのは親父の事。ちょっとした鬱が入ったら、そのまま昔の事まで頭に入ってきあがった。さっきまで吐き気まで催していた。今は影響で頭が痛いでやんの。くそっ!

私は親父に「行き過ぎたしつけ」という名の虐待を受けていた。肉体的虐待、つまり暴力と精神的虐待、つまり暴言。

記憶を辿る限り、物心付く頃にはもう既に始まっていた。小学生の頃には親父のその行為が「しつけ」という範囲を超えている事を自覚していた。でも、私には何もできなかった。それが嫌で家を出たところで、小学生の餓鬼一匹が何もできない、何も変わらない事は分かっていたし、出るところに出ても、いい結果が待ち受けていない事は分かっていた。私が全てをそれなりの機関に告白した場合、きっと親父と私達家族は切り離されるであろう。そうすればきっと母は泣くだろうし、世間体を気にするウチの家族の事、周りからの白い目に耐えられるわけがない事を分かっていた。だから私は口を噤む事しかできなかった。自分の中で「これはしつけだ。私が悪いからだ。」と無理矢理思い込ませるしかなかった。

そんな状態を、鬱憤を晴らすかの様に私は学校で荒れていた。動物に暴力をふるい、クラスの子も虐めていたし、人が嫌がる事を平気でしていた。友達の靴を捨てても、友達を誤って傷つけても平気でいた。謝らなかった。でも、口には出さないけど、いつも助けを求めていた。あの苦しみから救い出して欲しいと。

中学生の頃には、親父が家にいる日は、殆ど毎晩の様に暴言を吐かれ、必要以上に暴力をふるわれた。その頃には私との話の意見の食い違いから、自分の意見を受け入れない私に対し、歯痒くてつい手を挙げてしまい、親父が酒の勢いに呑まれ、行き過ぎた行為に及んでしまう事は分かっていたが、分かっていてもそれは私の中で処理できるものではなかった。

二階の自分の部屋にいても、階段を上る足音にさえも常に怯えていた。誰かが部屋まで来ようものなら、寝たふりをして少しでも親父から逃げようとしていた。その頃から家に帰るのが嫌になり、街中の塾に行く様になった。

親父に半分脅される様な形で、仕方なしに行った高校でも私の問題児振りは変わらなかった。勿論、親父が変わっていなかったから。素行不良により、入学して半年で退学勧告を食らい、暫くの間、自宅謹慎処分となった。自宅謹慎中、毎日毎日暴力を受け、暴言を吐かれた。最初は普通に高校の事や先々の事を話していた筈なのに、最後には必ず親父に手を上げられていた。シラフでも、母親が仲裁に入っても、最初に「手を上げるのは無しで話をしましょう」と母親が言っていても、必ず最後には暴力と暴言。私には逃げ場がなかった。

2週間程して、担任と学年主任が家に来て、私に決断を迫った。高校を「辞める」のか、それとも今までの事を反省して「続ける」のか。私の中では入学当初から、いつ辞めてもいいと思っていた。この機会に辞めたかった。けど、自分の答えを口に出す時、親父の顔を見た。ここで「続ける」と言わなければ、きっとこの自宅謹慎中と同じ日々が続くと思った。私は口を開けば「辞める」と発する事ができる所まで来ていた単語を一度飲み込み、小さな声で「続けます。」と答えた。学年主任に「続けるなら真面目に頑張らなければならない。やるな。」と言われ、「はい…。」と言った。親父の暴力と暴言を恐れて嘘をついた。反省もしてなかったし、真面目にするつもりも頑張るつもりもなかった。ただ、毎日の恐怖から抜け出したかった。それだけだった。

それから1年経っても真面目にもしない、頑張りもしない私に学年主任は問いつめてきた。「自宅謹慎の時の言葉は嘘だったのか。」私ははっきりと「嘘です。」と答えた。更に「お前は俺に嘘を言ったのか。」と言われ、小さく「…はい。」と答えた。その時、私がなぜ嘘をついたのか、つかざるを得ない状況にいたかを言いたい気持ちで一杯だった。しかし、学年主任はただ呆れ、理由を聞いてこなかったし、普段、私がそんな素振りを見せないから、当然、そんな理由があるなんて思いもよらなかったのだろう。また、私は自分の中に押し込めた。

私が18歳を迎える直前に、親父は心筋梗塞で突然死んだ。夜、家で親父が苦しんでいる時、パニックを起こしている母親とは対称に私は冷静に事の対処をした。救急車で運ばれた後、消防局に搬送先の病院を問い合わせ、祖母に連絡し、直接病院に向かってもらい、母親も病院に向かわせ、妹が寝ているので私は家に残った。こんなに冷静に判断できたのは、親父が苦しんだ後、身動きしない様子を見て、「嗚呼、こりゃもう駄目だな」と見ていたからだと思う。一段落して「駄目でいて欲しい」と思ったのも事実。

私と妹も病院に呼ばれ、医師から「残念ながら…。」と言われた瞬間、泣き崩れる母を見ながら、ほっとしていた。悲しいとか、泣きたいとかそんな気持ちは全く無く、本当に心の底からほっとした。何かから解放された様にふっと身が軽く感じた。それにしてもその時の様子は、医師から見たら異様な光景だったかもしれない。泣き崩れもしない、悲しむ様子もない、あっそといった感じの冷たい目でいる娘二人。妹も親父に干渉しなかっただけに、思い入れがなかった様だ。

葬式の後、火葬する前に棺のふたを閉める本当に最後の時、私は親父を殴ってやりたい気持ちで一杯だった。ずっと、仕返ししたくてたまらなかった。本当は殴るつもりだったが、母親の気持ちとそれなりに親族の数がいるという周りの状況を見て我慢した。でも、今は我慢した事を少し後悔している。

親父が死ぬまでに、私は2度親父の怒りに任され殺されると思った事があった。一度は二段ベッドの上段から頭から引きずり落とされそうになった時。一度は階段の上の方から引きずり下ろされそうになった時。両方とも私が手を離していたら、ベッドの場合は落ちて頭を直撃し、階段の場合は転げ落ちて死んでいたかもしれない。ベッドの上段から落とされそうになり、「殺される」と思った時、私はベッドの周りを見渡し、親父を殺せる物を探した。「殺らなければ殺られる」。本気でそう思い、そして、本気で殺意を抱いた。もしあの時、鈍器か鋭器が手に届く場所にあったら、私は親父を殺すか、殺し掛けていただろう。親父の言葉と暴力に耐えられず、2度程発狂した様に泣き叫んだ時もあった。

私は親父が死んだ今でも親父を恨んでいる。

親父が死んでいなくなった今でも、私は親父の虐待の呪縛から逃れられないでいる。体と心と記憶には当時の感情だけが今もリアルに残っている。それはふとした瞬間に思い出され、フラッシュバックを起こす。言われた言葉や暴力については具体的には覚えてない。けど、「嫌だ、怖い、止めて、痛い」といった感情だけが私を襲う。そしてその恐怖は未来にも続く。私が傷付けられた様に、いつか自分の子供も傷付けてしまうのではないかと。例え、愛していても、私が自分の気付かないところで傷付けてしまう気がして怖い。虐待は代々続く。親父や叔母さんから聞いた話、親父側の祖父も虐待じみていたらしい。何でも小さい頃、叔母さんが泣くと理由を問わず親父を殴っていた…と。そして親父は子供である私に対し…。認めたくはないが、私はどちらかというと親父似だ。私も同じようになるかもしれない…。

そんな恐怖が続く以上、私はいつまでも親父を恨み続ける。

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